第112回    俊寛


 上の写真はシュンカンハゼです。富戸の海では特別珍しい魚という訳ではありませんが、岩陰から決して出て来ようとはせず、すぐに岩穴に引っ込んでしまうので意外と見難い魚かもしれません。

 さて、民俗博物館の第115回「シュンカンハゼ」のコーナーでも書きましたが、僕にとってはこの「シュンカン」の名前の由来が長年の謎でした。

 (1997/11/23 付けログ 「つぶやいて富戸」 参照)

 以前書いた事ですが、もう一度ここで再録しておきます。

 さて、「シュンカン」って何の事なのでしょう。

 「そっと近寄ろうとした『瞬間』にたちまち姿を消すから」

という人がいますが、そんなにベタベタな命名をするかなあと僕は否定的です。
 ここはやっぱり、「俊寛」の字を当てたい所です。
 平清盛の政権を転覆させんものと京都・鹿ケ谷で謀議をこらしていたところ、密告により捕らえられ鬼界島(きかいがしま)に流罪になった僧の俊寛です。その後、島のほかの流人たちは赦免船で帰されたのに、俊寛一人が取り残された悲劇は能にも取り上げられています。

 上の想像に僕は故無き自信を持っていました。インターネットで検索しても、その様に書いてあるサイトを幾つか見ることが出来ました。でも、その出典や、「何故この魚が俊寛と結びつくのか?」の説明は何処にも見つける事が出来ないのです。

 僕が推理した命名の背景は2つです。

 まずは、岩陰にポツンとしていることの多いシュンカンハゼの暮らしぶりを俊寛の孤独になぞらえたというもの。そして、もう一つは、シュンカンハゼの採取地が俊寛ゆかりの鬼界島(現在の喜界島でしょう)であったというものです。

 が、これ以上は僕にはもう調べようがありません。こんな時には仕方ない。海の「もしもし110番」・アンダーウォーターナチュラリスト協会(AUNJ)に問い合わせてみました。そして、当会の代表・余吾さんをはじめ講師の方々から寄せられた情報はかなりエキサイティングなものでした。転載の許可を頂きましたので、以下に詳しく説明します。

 シュンカンハゼは1957年に高木和徳(かずのり)とおっしゃる先生が報告なさったのだそうです。

  Journal of the Tokyo University of Fisheries, 43(1):97-126,
  2 plates

この論文中で高木先生はシュンカンハゼの命名の背景を次の様に説明なさっています。
Shunkan, from Shunkan Sozu, sub-bishop in the Buddhism (1142-79), a tragic hero in a Japanese historical literature, the "Heike-monogatari"
おっ、やっぱり。シュンカンは平家物語の悲劇のヒーロー・俊寛が由来であったのです。ただ、ちょっとショックであったのは、この標本の採取地が「松ヶ浦」とされていたことです。


 松ヶ浦は鹿児島県・薩摩半島の南部にある海岸です。つまり、俊寛ゆかりの喜界島が採取地ではなかったのです。喜界島は松ヶ浦からは遥か300Km南方の島です。

 ところが、上記の論文には「何故俊寛なのか?」についてはそれ以上は書いていないのだそうです。さあ、困った。

 が、俊寛の流刑地・鬼界島について調べていると意外な事が分かってきました。「平家物語の鬼界島」=「現在の喜界島」とは必ずしも限らないのだそうです。そして、同じ鹿児島県にある硫黄島も鬼界島の候補の一つと考えられているんですって。事実、硫黄島の港には、御赦免船を追いかける俊寛の銅像があるのだそうです。

  http://www.asahi-net.or.jp/~xf6t-hrd/essay3.htm

 ここで僕は急に身を乗り出しました。上の地図を御覧下さい。硫黄島と言えば松ヶ浦からおよそ50Km南方の島です。もし、シュンカンハゼを採取した海岸の沖合に硫黄島(鬼界島)が見えたとしたら、それにちなんで俊寛の名をつけてもよさそうに思います。

 さて、松ヶ浦から硫黄島は見えるのでしょうか。こんな時に頼りになるのが、任意の地点からの展望図を計算によって描いてくれるソフトウェア「カシミール」であります。そこで、この海岸からの展望を早速書かせてみました。


 上図を御覧下さい。島にある硫黄岳(標高704m)が水平線上にくっきりと見えています。新しい標本を手に入れて、意気揚々と海岸から上がってくると、眼前に夕暮れ時の硫黄岳の影が黒々と見えたなんていう光景が目に浮かぶようじゃないですか。そう、硫黄岳 → 鬼界島 → 俊寛という繋がりで命名されたに違いありません。僕はまたまた確信であります。

 ところが、僕のこんな勝手な思い込みを危惧なさったのでしょう、AUNJ代表の余吾さんが高木先生に直接電話してお話を伺って下さいました。

 すると先生のおっしゃるには、頭部の皺が印象に残って、それが俊寛をイメージさせたので命名したというのが真相だったのだそうです。

 えっ? あれっ? 鬼界島は全然関係なかった・・・のね。漸く正解に辿りついて一安心できたものの、予想は大はずれでちょっとガッカリです。

 でも、当時の大学の先生は、魚類学者といえども平家物語が教養の背景にあったなんてとってもカッコいいですよね。僕も、少しは言葉に重みのある男になりたいものだなどと思うのでありました。

                       2003/12/25 記
   

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