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高田 浩二 著 萩原 洋子 絵 東海大学出版会 刊 ISBN: 978-4-486-01778-3 \ 2,000 + 税 2007/11/20 初版発行 50 頁 縦x横x厚; 21.0x13.5x1.2 cm |
僕は全然覚えていないのですが、いまだに母親からよく聞かされる話です。まだ本も読めなかった頃のこと。お正月遊び用に買って貰ったカルタに僕は異様に興味を示し、一日中母親につきまとって、
「カルタして」
と頼んでいたのだそうです。そして、母親に読んで貰っては
「はい」「はい」
と一人で絵札を取っていたのだそうです。その頃は平仮名もまだ良く分かっていなかったので、札の絵を見て取っていたんでしょうね。でも、その母親とのカルタで僕は一挙に仮名を覚えたのだそうです。
「へぇ〜、そんな事があったのかぁ」
と笑ってしまうのですが、自分の性格を考えるとそんな事も確かにあったに違いないとも思えるのでした。
そんな三つ子の魂が残っているせいなのでしょうか、風変わりなカルタを見ると今もつい手に取ってしまいます。先だっても本コーナーで「魚魚(とと)あわせ」という楽しいカルタをご紹介したのを覚えている方もおられると思います。
そんな僕の夢は、富戸のカルタを作ってみたいと言う事でした。富戸の海で見られる生き物とその暮らしぶりをカルタにして、子供らがそれで字を覚えて呉れたりしたら嬉しいだろうなと思っていました。それだけに、この本を見た時は、
「うわっ、先にやられた〜」
と思いました。本書は、福岡の水族館の館長である筆者が50音で海の生き物の生態を綴ったものです。下の写真の様に、見開き1ページに読み札と絵札、そしてそれぞれのトピックスに関する短い解説があります。このページの裏側は真っ白なので、恐らくこれを切り抜いてカルタとして遊んで欲しいという意図があるのだと思います。

そこで、それぞれの絵札や読み札をパラパラと見ていて思ったのは、
「なんだか中途半端だなぁ」
と言う事でした。海の生き物でカルタを作ると言う事は一種の遊びだと思うのです。でも、遊び半分で作った「遊び」はちっとも面白くありません。本気の遊びだからこそ楽しいのです。僕がまず気になったのは読み札の語呂です。例えば、上の写真の例です。
「塩水につかっていても
なぜ、しぼまないの
海水魚」
何だかリズムが悪い文章だと思いませんか。筆者は、
「出来る限り五七調で短く、子供が理解できる言葉で表現することに苦慮した」
と書いていますが、まだまだ不十分です。俳句や短歌を作るつもりで、もっと言葉を刈り込んでリズムも重視しなければなりません。僕ならば、上の場合ならば、
「塩水で しなびないのか海水魚」
くらいにしておいて、絵札にはげっそり乾涸びた魚が泳いでいる姿を配します。それで足りない分を解説で補えばよいでしょう。
読み札も絵札も何だか説明的過ぎるのです。「遊んで為になるカルタ」なんてのは親は子供に与えたがるかも知れませんが、子供は「教育的な」ものの臭いには敏感です。親が思うようには遊んでは呉れないでしょう。
そして、中途半端と思えるもう一点。
「筆者はこれを切り抜いて遊んで貰うことを本当に期待しているのかな?」
と言う事です。上の様な体裁の本からカルタ部分を切り抜くと、残った本の部分はボロボロ・バラバラになって、本としての体(てい)を為さなくなると思います。僕ならば、カルタを別売りにするか、それが無理ならば、ページの上半分が切り落とせる様にミシン目を入れます。そうすれば、カルタとしても遊べ、本としても末永く利用できます。それではコストが掛かり過ぎるのかなぁ。
いずれにしても、「おとな目線」が強く感じられるカルタとなってしまいました。なるほど、「富戸カルタ」の攻め入る隙はまだまだあるという事だな。
2007/12/04 記
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